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松山地方裁判所 平成4年(行ウ)1号 判決

原告 井上忠彦

被告 伊予三島税務署長

代理人 脇博人 有賀文宣 村川広視 吉池浩嗣 金子敏廣 松尾一雄 岡田武夫 吉本真敏 石丸邦彦 藤本義文 ほか四名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

被告が原告に対し、平成二年六月三〇日付でした原告の昭和六三年分の所得税についての更正のうち、総所得金額三一二〇万七一〇六円を超える部分、及び同日付けでした原告の過少申告加算税賦課決定のうち、これに対応する部分をいずれも取り消す。

第二事案の概要

本件は、先物為替予約の付されたインパクトローンに係る外貨の借入債務を相続により承継した原告が、その返済期日に、先物為替予約に基づく為替レートにより取得した外貨をもって右債務の返済をしたところ、被告から、右インパクトローンの元金返済に要した円貨額と、借入元本(外貨)を借入時の為替レートにより転換して取得した円貨額との差額(為替差益)が、原告の雑所得に当たるとして、所得税の更正及び過少申告加算税の賦課決定を受けたため、右更正等の処分の取消しを求めた事案である。

一  前提となる事実(争いのない事実)

1  本件更正等の処分の経緯

(一) 原告は、原告の昭和六三年分の所得税について、別表一の各該当欄記載のとおり、確定申告及び修正申告をした。

(二) これに対し、被告は、別表一の賦課決定欄記載のとおり、過少申告加算税の賦課決定をし、同表の更正及び賦課決定欄記載のとおり、更正及び過少申告加算税の賦課決定をした(以下「本件更正等の処分」という)。

(三) 原告は、本件更正等の処分に対して、別表一の各該当欄記載のとおり、異議申立て及び審査請求をしたが、同各該当欄記載のとおり、いずれも棄却された。

2  争いのある所得(本件為替差益分)

(一) 本件更正等の処分で認定された原告の昭和六三年分の総所得金額は、以下のとおりである。

(1) 配当所得               〇円

(2) 不動産所得(損失) △一六四一万二二五二円

(3) 給与所得       四六九八万〇四五八円

(4) 雑所得

〈1〉 還付加算金     六三万八九〇〇円

〈2〉 為替差益    一五九四万八〇〇〇円

(5) 合計(総所得金額)  四七一五万五一〇六円

(二) 以上に対し、原告は、右為替差益(以下「本件為替差益」という。)を原告の昭和六三年分の所得と認定した点は違法であり、原告の昭和六三年分の総所得金額は、本件為替差益を除いた三一二〇万七一〇六円にとどまると主張して、争っている。

3  被告が本件更正等の処分の根拠とした事実

(一) 原告の父親である井上忠三は、昭和六二年七月六日広島銀行今治支店から、別表二の借入欄記載のとおり、三六〇万米ドルの外貨貸付を受け(以下、右外貨貸付を「本件インパクトローン」という。)、右借入れた三六〇万米ドルを、借入時の為替レート(一米ドル当たり一四六・八〇円)により五億二八四八万円に転換し、同額の円貨を取得した。

(二) ところで、井上忠三は、本件インパクトローン借入前の昭和六二年七月二日、広島銀行今治支店との間で、本件インパクトローンの返済期日(昭和六三年七月六日)における為替レートを、一米ドル当たり一四二・三七円とする、先物為替予約契約(以下「本件先物為替予約」という。)を締結していた。

(三) ところが、井上忠三が昭和六二年一二月一七日死亡したため、原告を含む井上忠三の相続人九名が、昭和六三年五月二九日井上忠三の遺産について遺産分割協議をした結果、原告が井上忠三の積極財産とともに、本件インパクトローンに係る債務を相続することになった。

(四) 原告は昭和六三年七月六日、別表二の返済欄記載のとおり、本件先物為替予約に基づき、一米ドル当たり一四二・三七円の為替レートにより、五億一二五三万二〇〇〇円を三六〇万米ドルに転換し、この三六〇万米ドルでもって、本件インパクトローンに係る元本債務を返済した。

(五) 被告は、前記(一)の五億二八四八万円から右(四)の五億一二五三万二〇〇〇円を控除した差額金(本件為替差益金)一五九四万八〇〇〇円が、原告の昭和六三年分の雑所得に当たるとして、本件更正等の処分を行った。

二  原告の主張(本件更正等の処分の違法事由)

1  本件為替差益の発生・帰属について

本件為替差益は、以下の理由から、本件インパクトローンの借入時若しくは相続時の収入として、借主である井上忠三の雑所得を構成する余地があるにとどまり、本件インパクトローンの返済時の収入として、原告の雑所得となることはない。

(一) 権利確定主義の観点から

本件インパクトローンについては、借入前に予め返済期日の為替レートを定めた先物為替予約が締結されていたため、借入の時点で、既にその返済に要する円貨額が確定しており、原告は、同額の債務を相続により承継し、これを返済したにすぎないから、権利確定主義の観点からみても、原告には、本件為替差益相当額の収入は発生していない。

外貨建取引等会計処理基準(昭和五四年六月二六日・大蔵省企業会計審議会)や法人税法基本通達13の2―1―5の規定からも、本件為替差益が、本件インパクトローンの借入時ないしは相続時の収入として、井上忠三に帰属することが裏付けられる。

(二) 二重課税の観点から

原告は、井上忠三の死亡後、その相続税の申告に当たり、本件インパクトローンに係る債務を、確定した相続債務として、本件先物為替予約に基づく為替レートにより換算した円貨額で評価して申告し、認められており、本件為替差益は、相続税の課税価額に算入されている。

それにもかかわらず、本件為替差益を、本件インパクトローンの返済時に実現した原告の収入とみて、所得税を課することは、昭和六三年法律第一〇九号による改正前の所得税法(以下単に「所得税法」という。)九条一項二〇号により非課税所得とされている、「相続により取得」した財産に課税するものであり、相続税と所得税の二重課税として許されない。

2  本件支払利子の経費性について

仮に、本件為替差益が原告の雑所得に当たるとしても、本件インパクトローンに係る利息に支払に要した円貨額四二三三万七二七八円(以下「本件支払利子」という。)を、本件為替差益の実現に要した必要経費として、本件為替差益から控除すべきである(別表二参照)。

三  被告の反論

1  本件為替差益の発生・帰属について

(一) 本件先物為替予約は、本件インパクトローンの返済原資を購入する契約として、法的には本件インパクトローンとは別個独立の契約であり、解約の可能性があることを考慮すると、本件為替差益は、先物為替予約の有無とは関わりなく、本件インパクトローンに係る債務の返済時に実現するものであり、権利確定主義の観点からみても、本件インパクトローンの返済時に原告に帰属するものである。

(二) 所得税法において為替差益が所得として実現する時期の問題と、相続税法において相続する取得財産から控除すべき債務額評価の問題とは、次元の異なる問題であり、権利確定主義は、前者においては問題となるが、後者においては直接問題とはならない。従って、本件為替差益が原告に帰属すると判断して、原告に課税したからといって、相続税と所得税の二重課税とはならない。

2  本件支払利子の経費性について

本件支払利子は、本件為替差益取得のための必要経費とはいえないし、他の各種所得の計算上本件支払利子を控除することも認められない。

四  争点

1  本件為替差益は、本件インパクトローンに係る債務の返済時の収入として、原告の所得(昭和六三年分)に帰属すると認められるか。

2  本件支払利子は、本件為替差益取得等のための必要経費として、原告の昭和六三年分の課税所得に係る収入から控除されるか。

第三争点に対する判断

一  争点1(本件為替差益の帰属者)について

1  権利確定主義の観点からの考察

(一) インパクトローンと先物為替予約の関係

インパクトローンとは、外国為替取引を公認された銀行が、居住者に対して行う資金使途に制限のない外貨の貸付をいう。先物為替予約は、将来の一時点において、一定額の外貨を一定の為替レートで売買する契約であり、「予約」と称されているが、法的には「本契約」である。インパクトローンには、借入時と返済時における為替レートの変動によるリスクを回避するため、先物為替予約が利用される場合がある。

このように、先物為替予約は、為替リスクの回避を目的とするものであるが、先物為替予約を付するか否かは、インパクトローンにより外貨を借り入れる者が自由に選択することができ、また、インパクトローンと同時に先物為替予約をしたからといって、先物為替予約によって買い入れた外貨を必ずインパクトローンに係る債務の弁済に充てなければならない訳でもない。

従って、インパクトローンと先物為替予約とは、法的には別個独立の契約であり、先物為替予約は、借主がインパクトローンにより借り入れた外貨を返済するのに必要な原資を取得するために行う、外貨の売買契約ということができる。

(二) 権利確定主義の意義

所得税法三六条一項は、「その年分の各種所得の金額の計算上収入金額とすべき金額又は総収入金額に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、その年において収入すべき金額(金銭以外の物又は権利その他経済的な利益をもって収入する場合には、その金銭以外の物又は権利その他経済的な利益の価額)とする。」旨規定し、同条二項は、「前項の金銭以外の物又は権利その他経済的な利益の価額は、当該物若しくは権利を取得し、又は当該利益を享受する時における価額とする。」旨規定している。

右規定は、収入すべき金額の計上時期について、権利確定主義を採用したものといわれており、同規定にいう「収入すべき金額」とは、収入すべき権利ないしは経済的利益が確定した金額をいう(最高裁昭和五三年二月二四日判決・民集三二巻一号四三頁)。そして、権利確定主義でいうところの「権利等の確定」とは、単に当該権利等が債権的に発生しただけでなく、権利等の性質・内容その他の諸事情からみて、権利等が具体的に実現する可能性が増大し、その蓋然性を客観的に認識できるようになった状態を意味するものと解される。

(三) 考察

かかる見地から本件をみるに、本件為替差益が所得税法三五条所定の雑所得に当たることは、当事者間に争いがなく(これに反する事実・証拠はない。)、雑所得の収入金額の権利確定の時期は、所得税法三五条三項に規定する公的年金等以外のものは、その収入の態様に応じて、他の各種所得の収入金額の取扱いに準じて判定すべきもの、と解されているところ(所得税基本通達三六―一四参照)、先物為替予約は外貨の売買契約であり(前記(一)参照)、本件為替差益は、高額に評価されていた外貨建債務を低額に買い入れた外貨をもって消滅させるため、その外貨を債権者に移転させることによって発生したものであるから、本件為替差益の権利確定時期は、譲渡所得の収入金額の計上時期の取扱いに準じて判断するのが相当である。

そして、譲渡所得の収入すべき権利の確定時期は、原則として、当該所得の起因となる資産の引渡しがあった日によるものと解されているので(所得税基本通達36―14参照)、本件為替差益の権利確定の時期も、井上忠三が本件先物為替予約によって低額で買い入れた外貨を、原告が債権者たる広島銀行今治支店に対し、本件インパクトローンに係る元本債務の弁済として、元本相当額の外貨(米ドル)を引き渡した時、と認めるのが相当である。

確かに、本件インパクトローン契約を締結すると同時に、本件先物為替予約をした場合、抽象的には、返済時に本件為替差益が実現する可能性が高く、本件為替差益の金額を事前に確定することができる。

しかし、前記(二)で検討したとおり、収益の認識に関する権利確定主義の見地からすると、権利等が確定したというためには、単に当該権利等が発生しただけでなく、権利等が具体的に実現する可能性が、客観的に認識できる状態にまで高められていなければならないところ、本件先為替差益は、本件先物為替予約が解除・解約されることなく返済期日が到来し、右為替予約に基づき円貨を支払って外貨の引渡しを受け、その外貨を現実に本件インパクトローンの返済に充てた結果、はじめて所得として客観的に認識可能となるものであり、それまでは、本件為替差益の原因たる権利が確定したとはいえないのである。

加えて、前記(一)で検討したとおり、インパクトローンと先物為替予約とは法的には別個独立の契約であり、先物為替予約は、借主がインパクトローンに係る債務の弁済に必要な原資を取得するために行う外貨の売買契約に過ぎず、借主は外貨の売買契約自体によって収入を得るわけではない。

従って、井上忠三が本件インパクトローン契約を締結するとともに本件先物為替予約をしたというだけでは、井上忠三ないしは原告が、本件先物為替予約で買い入れた外貨をもって、本件インパクトローンに係る債務を弁済するとは限らないから、本件インパクトローンや先物為替予約契約の締結時点において、本件為替差益の原因となる権利が確定し、所得が実現したものと認めることはできない。

以上の次第で、本件為替差益は、本件インパクトローンに係る元本債務が返済された昭和六三年七月六日に、収入すべき権利として確定し、返済をした原告の昭和六三年分の所得に帰属したものと認められる。

(四) 原告主張について――その(1)

原告は、外貨建取引等会計処理基準(昭和五四年六月二六日・大蔵省企業会計審議会)や法人税法基本通達13の2―1―5を根拠に、本件為替差益は、本件インパクトローンの借入時ないしは相続時の収入として、井上忠三に帰属する旨主張する。

しかし、まず、外貨建取引等会計処理基準は、株式会社などの継続企業が行った外貨建取引について、適正な期間損益を投資家や債権者らに報告することを念頭に置いて設定された会計処理基準であるから、このような会計処理基準が、本件のような個人が一時的に借り入れたインパクトローンによる為替差益の実現時期にも、そのまま妥当するものとはいえない。

のみならず、法人税法六五条・同法施行令一三九条の二ないし八が、外貨建債権債務の換算について別段の定めをしているから、為替差益の実現時期に関しては、同施行令の定めが優先的に適用され、外貨建取引等会計処理基準が適用される余地はない。

ところで、法人税法施行令一三九条の三第一項は、外貨建債権債務の換算に関して、著しい為替相場の変動など特殊な事情のない限り、短期外貨建債権債務は、取得時換算法と期末時換算法のいずれかを選択し、長期外貨建債権債務は、取得時換算法によると規定している。そして、取得時換算法は、当該事業年度終了の時において有する外貨建債権債務について、その金額を取得時又は発生時における外国為替の売買相場により円換算額に換算する方法であり、期末時換算法は、これを当該事業年度の終了時における外国為替の売買相場による円換算額により換算する方法である(法人税法施行令一三九条の三第一項一号)。

従って、外貨建債権債務の円換算により為替差益が生じる場合、当該為替差益の実現時期は、取得時換算法を採用した場合は返済時であり、期末時換算法を採用した場合は期末時及び(又は)返済時であって、原告が主張するように、外貨建債権債務の取得時又は発生時(本件でいえばインパクトローンの借入時)に為替差益が実現するという考え方は、法人税法施行令もとっていない。

次に、法人税法基本通達13の2―1―5は、短期外貨建債権債務につき期末時換算法を選択した場合において、その外貨建債権債務の円換算額が為替予約により確定しているときは、当該外貨建債権債務については、当該予約により確定している円換算額をもって、当該事業年度終了時の為替差益による円換算額とするものとしている。右通達が適用される場合においても、為替差益の実現時期は期末時であり、原告が主張するように、借入時に為替差益が実現するという考え方をとっていない。

そして、所得税法は、法人税法と異なり、原則として一般の居住者を納税者とし、株式会社などの継続企業を納税義務者としていないのであり、所得税に係る課税関係については、期末時における外貨建債権債務の評価額を開示する必要性などなく、期末時換算法などの例外的な取扱いを認める必要もない。本件のように、個人が一時的に借り入れたインパクトローンの元本の円換算により生じた雑所得の場合に、このような例外的な取扱いを認める必要がない。

以上の次第で、外貨建取引等会計処理基準や法人税法基本通達13の2―1―5を根拠に、本件為替差益が、本件インパクトローンの借入時ないしは相続時に帰属するものとは認められず、原告の前記主張も失当である。

(五) 原告主張について――その(2)

更に、原告は、井上忠三が昭和六二年一二月一七日に死亡し、井上忠三の死亡した年の所得を確定する必要があることから、本件為替差益が所得として実現した時期を、本件インパクトローンの返済時とすることはできない旨主張する。

しかし、権利確定主義の立場においては、本件為替差益が所得として実現するのは、本件インパクトローンの返済時である昭和六三年七月六日であり、井上忠三が死亡した昭和六二年一二月一七日には所得の実現がないから、本件為替差益が井上忠三の所得となる余地がない。

原告の主張は、本件為替差益が井上忠三の所得に含まれることを前提とするものであり、その前提自体が誤っており失当である。

2  二重課税の主張について

(一) 原告は、井上忠三が昭和六二年一二月一七日に死亡した後、昭和六三年六月一七日その相続税の申告にあたり、本件インパクトローンに係る次の(1)(2)の債務を、相続税法一三条一項一号・一四条所定の確定債務として、相続財産の価額から控除して相続税の申告をし、その申告額が確定した事実をもとに、本件為替差益を本件インパクトローンに係る債務の返済時の収入とみて、これに所得税を課すことは、所得税法九条一項二〇号により非課税所得とされた「相続により取得した財産」に課税するものであり、相続税と所得税の二重課税として許されない旨主張する。

(1) 本件先物為替予約に基づく為替レート(一米ドル当たり一四二・三七円)で換算した元本債務五億一二五三万二〇〇〇円。

(2) 同為替レートで換算した右元本に対する借入日から相続開始日までの利息金債務一九〇八万六四七八円。

(二) しかし、本件為替差益は、前記1で認定・判断したとおり、所得税課税に関する権利確定主義(所得税法三六条一項)の見地からみて、本件インパクトローンに係る債務の返済時における収入と認められるのであり、借入時から返済時までの間に相続による包括承継が介在したからといって、相続開始時に為替差益が収入すべき権利として確定したと認めることはできず、また、借入時に溯って収入すべき権利が確定したと認めることもできない。

従って、本件為替差益は、所得税法九条一項二〇号にいう「相続により取得した財産」には該当せず、原告の主張は既にこの点で失当である。

ところで、相続税の課税価額は、相続等により取得した財産の価額から、非相続人の債務で相続開始の際現に存するものなどを控除した金額であり(相続税法一三条)、取得財産から控除すべき債務は確実と認められるものに限られ(同法一四条一項)、その債務の金額は相続等による取得時の現況によって評価しなければならない(同法二二条)。そして、原告が井上忠三を相続した時点においては、本件先物為替予約が有効なものとして存在し、本件インパクトローンに係る債務を返済するには、少なくとも本件為替レートに基づく円換算額を支出しなければならない状態にあった。従って、本件インパクトローンの弁済期に弁済すべき債務の金額として確実と認められる金額は、返済期日の予約為替レートで本件インパクトローンの元利金合計を円換算した金額ということになり、被告が相続税額の計算上、本件インパクトローンに係る元本・利息金債務を、本件先物為替予約に基づく為替レートによる円換算額の相続債務として評価したことについては、何ら違法な点はないというべきである。

そもそも、相続税は相続によって取得した財産に対して課税するものであり、所得税は実現した所得(価値の増加)に対して課税するものであって、両者は課税対象を異にしている。相続税法における取得財産額から控除すべき債務額の評価の問題と、所得税法における為替差益が所得として実現する時期の問題とは、次元を異にする問題であり、権利確定主義は、所得税においては問題となるが、相続税においては直接問題とはならない。所得税法九条一項二〇号が、「相続により取得するもの」を非課税としているのは、相続という同一原因によって相続税と所得税法とを負担させるのは、同一原因により二重に課税することになるのでこれを回避し、相続税のみを負担させるという趣旨であり、相続後に実現する所得に対する課税を許さないという趣旨ではない。

(三) 従って、原告は、井上忠三の相続人として、本件インパクトローンに係る債務を、本件先物為替予約に基づく為替レートによる円換算額の債務として承継し、同額の債務を返済した結果、本件為替差益を取得したのであり、前記相続税の課税及び本件為替差益に対する所得税の課税は、それぞれ、相続税法及び所得税法上の根拠に基づいてなされた適法なものと認められるから、本件為替差益に対する所得税の課税が、相続税との二重課税を理由に許されないものとは解せられず、原告の二重課税を根拠とする主張も理由がない。

3  総括

以上の次第で、本件為替差益は、本件インパクトローンの返済時の収入として、返済をした原告の昭和六三年分の所得に帰属したものと認められる。

二  争点2(本件支払利子の控除)について

1  認定事実

〈証拠略〉によると、以下の事実が認められる。

(一) 井上忠三は、株式購入資金に充てるため、別表三の借入欄記載のとおり、昭和六一年七月三日広島銀行今治支店から、インパクトローン三〇七万二〇〇〇米ドルを借り入れ(以下「初回インパクトローン」という。)、同日の為替レート(一米ドル当たり一六二・七九円)で五億〇〇〇九万〇八八〇円に転換し、これに自己資金を加えた五億〇七五二万二一九五円をもって、翌四日ソニーの株式一三万五〇〇〇株を購入した。

なお、井上忠三は同年七月一日、初回インパクトローンについて、返済期日に係る先物為替予約(一米ドル当たり一五九・六二円)を付している。

(二) 井上忠三は、初回インパクトローンの元利金の返済資金に充てるため、別表二の借入欄及び別表三の返済欄記載のとおり、昭和六二年七月六日広島銀行今治支店から、本件インパクトローン三六〇万米ドルを借り受け、これを同日の為替レート(一米ドル当たり一四六・八〇円)で五億二八四八万円に転換し、このうち、初回インパクトローンの元利金の返済に必要な五億二七三一万九七七九円を、初回インパクトローン借入の際に締結していた先物為替予約に係る為替予約レートによって、三三〇万三五九四・六六米ドル(初回インパクトローンの元利合計額)に転換し、初回インパクトローンの元利金を返済した。

なお、井上忠三は同年七月二日、本件インパクトローンについても、返済期日に係る先物為替予約(一米ドル当たり一四二・三七円)を付している。

(三) 井上忠三は、昭和六二年一二月一七日死亡したため、原告を含む九人が井上忠三の財産を相続した。

ところで、井上忠三は、初回インパクトローンで借り入れた資金でソニーの株式一三万五〇〇〇株を購入しているが、井上忠三は、初回インパクトローンの借入前から死亡するまでに、複数回にわたってソニーの株式売買を行っており、死亡時には、ソニーの株式二三万株を所有していた。原告は、昭和六三年五月二九日に成立した遺産分割協議により、ソニーの株式二三万株のうち一〇万株を取得するとともに、本件インパクトローンに係る元利金債務の全額を承継した。

なお、原告は、右遺産分割協議の成立前である昭和六三年三月七日、遺産分割協議により取得することになるソニーの株式一〇万株のうち、五万株を売却している。

(四) そして、原告は昭和六三年七月六日、別表二の返済欄記載のとおり、本件インパクトローンの元利金の返済に必要な五億五四八六万九二七八円を、本件インパクトローン借入の際に締結していた先物為替予約に係る為替予約レートによって、三八九万七三七五米ドル(本件インパクトローンの元利合計額)に転換し、これで本件インパクトローンの元利金を返済した。

2  本件支払利子が本件為替差益の必要経費に該当するか。

(一) 税法の規定

所得税法三七条一項は、不動産所得・事業所得又は雑所得の金額の計算上必要経費に算入すべき金額については、別段の定めがあるものを除き、「当該総収入金額を得るため直接に要した費用の額」、及び「これらの所得を生ずべき業務について生じた費用」の額と定めている。そして、本件為替差益は雑所得に該当するところ、雑所得に該当する為替差益については、税法上「別段の定め」は存しない。

従って、本件支払利子が本件為替差益の必要経費に該当するためには、本件支払利子が、本件為替差益を所得として実現するために、「直接要した費用」に当たるか、又は、本件為替差益との関係で、「所得を生ずべき業務について生じた費用」に当たるかの、いずれかでなければならない。

(二) 考察

これを本件についてみるに、前記1の認定によると、本件インパクトローンは、井上忠三が株式購入資金として借り入れた初回インパクトローンの借換分であり、本件為替差益を得るために本件インパクトローンを借り入れたものとは認められないから、本件支払利子は、本件為替差益を所得として実現させるために「直接要した費用」にも、本件為替差益との関係で「所得を生ずべき業務について生じた費用」にも当たらない。

従って、本件支払利子が、本件為替差益の必要経費に該当するものとは認められない。

もっとも、厳密に言えば、初回インパクトローンの借換分と言えるのは、本件インパクトローン(円換算額で五億二八四八万円)のうち、初回インパクトローンの元利金を返済するのに必要な部分(円換算額で五億二七三一万九七七九円)だけであり、その余の部分(円換算額で一一六万〇二二一円、以下「A部分」という。)については、初回インパクトローンの借換分とは言えない。

しかし、井上忠三は、本件インパクトローンを借り入れた際、先物為替予約をしていたのであるから、返済時に本件支払利子の円換算額が四二三三万七二七八円となり、本件為替差益の金額が一五九四万八〇〇〇円となることは、予想できた筈である。従って、井上忠三が、本件為替差益を得るために、本件インパクトローンを借り入れるということは、損失(右為替差益と本件支払利子の差額)を被ることを目的とする経済活動を行うことを意味し、井上忠三がこのような不合理な経済活動をしたものとは、考えられない。

そうすると、井上忠三が、本件為替差益を得るために、本件インパクトローンを借り入れたという関係が、そもそも認められないのであるから、A部分に係る支払利子についても、本件為替差益を所得として実現させるために「直接要した費用」や、本件為替差益との関係で「所得を生ずべき業務について生じた費用」に該当することはなく、本件為替差益の必要経費には当たらない。

3  他の各種所得の計算上本件支払利子を控除することができるか。

(一) 本件支払利子の税務上の取扱いについて

本件支払利子は本件為替差益の必要経費には当たらないが、本件支払利子を他の各種所得の計算上控除することができるか否かが、更に問題となる。

即ち、本件支払利子を本件為替差益から控除できなくとも、他の各種所得の計算上控除することができれば、結果的に原告の昭和六三年分の総所得金額が減少するし、更に、他の各種所得の収入金額が本件支払利子に満たないため、これを控除しきれない場合でも、当該所得が不動産所得・事業所得又は譲渡所得であるときは、損益通算によって更に他の各種所得の計算上控除することができ(所得税法六九条一項)、その結果、原告の昭和六三年分の総所得金額が減少するからである。

そこで、本件支払利子のうち、井上忠三が株式購入資金として借り入れた初回インパクトローンの借換分(円換算額で五億二七三一万九七七九円、以下「B部分」という。)に係る支払利子について、更に検討する必要がある。

ところで、前記1の認定によると、B部分に係る支払利子は、井上忠三がソニーの株式一三万五〇〇〇株を取得するために要した、負債の利子としての性格を有するところ、株式を譲渡すれば譲渡所得・事業所得又は雑所得が生じ、また、株式を所有していれば配当所得が生じるため、これらの所得の計算上、B部分に係る支払利子を控除できるかが問題となるので、以下この点につき検討する。

(二) 検討

(1) 譲渡所得・事業所得・雑所得について

昭和六三年当時の所得税制の下では、株式の譲渡によって事業所得又は雑所得が実現した場合、株式を取得するために要した負債の利子は、右各所得の必要経費となることが認められていた(所得税法三七条一項)。しかし、株式の譲渡によって譲渡所得が実現した場合には、株式の取得に要した負債の利子は、「資産の取得費」又は「資産の譲渡に要した費用」のいずれにも含まれず、これを控除することができなかった(所得税法三三条三項、昭和六三年法律第一〇九号による改正後の租税特別措置法三七条の一〇第六項三号(平成元年四月一日施行―同法附則一条三号リ)参照)。

従って、仮に、原告が昭和六三年にソニーの株式を譲渡して譲渡所得を生じていたとしても、右譲渡所得の必要経費として、本件支払利子を控除することはできなかった。

次に、株式の譲渡が事業所得になるのは、所得税法九条一項一一号イ(継続して有価証券を売買することによる所得として政令で定めるもの)に該当する場合のみである。しかるところ、原告は、訴状の二丁目裏で、原告の昭和六三年分の株式の譲渡が、所得税法九条一項一一号イないしトのいずれにも該当しないことを認めているので、原告が昭和六三年にソニーの株式を譲渡して所得を生じても、事業所得には当たらない。

更に、所得税法九条一項一一号は、有価証券の譲渡による所得は、同号イないしトに掲げる所得以外のものを非課税をする旨定め、所得税法九条二項三号は、株式の譲渡によって雑所得が実現した場合であっても、それが非課税所得である場合には、株式を取得するために要した負債の利子を、必要経費として控除できない旨規定している。従って、原告が昭和六三年にソニーの株式を譲渡して雑所得を生じても、本件支払利子を必要経費として控除することはできない。

以上の次第で、B部分に係る支払利子は、譲渡所得・事業所得・雑所得の計算上控除することができないのであり、原告の昭和六三年分の総所得金額を減少させることはない。

(2) 配当所得について

ソニーの株式所有による配当所得の計算に際しては、B部分に係る支払利子に一部について、控除することが可能であるが(所得税法二四条二項)、配当所得の収入金額から控除しきれない金額があったとしても、配当所得の計算上生じた損失は、損益通算の対象とならないのであるから(所得税法六九条一項)、他の各種所得の金額から控除することもできない。

ところが、本件更正処分等においては、配当所得金額を〇としているから(〈証拠略〉)、ソニーの株式所有による配当所得の計算に際しては、B部分に係る支払利子の一部について、控除することが可能であるといっても、本件更正処分に係る総所得金額を減少させることはない。

4  原告主張について

(一) 本件インパクトローンの借入目的について

原告は、本件為替差益に係る所得金額の計算上、為替差益の利得のみを目的として、本件インパクトローンによる借入を行った場合は、本件支払利子が必要経費となるのに、株式の所得資金に充てることを目的として、本件インパクトローンによる借入を行った場合は、本件支払利子が必要経費とは認められないというのは、背理であると主張する。

しかし、所得税法を始めとする租税関係法規は、各種の所得について、それぞれの担税力の相違に応じた計算方法を定め、それぞれの態様に応じた課税方法を定めているから、本件支払利子をいかなる所得の必要経費に算入するか否かは、各種所得についての租税関係法規の定めに従って決定される。そして、これら各種所得についての租税関係法規は、本件支払利子を各種所得の必要経費に参入するか否かを決定する上で、資金の使途を重要な要素としている。

そして、本件インパクトローンの借入目的が異なれば、その使途も当然異なってくるのであり、そのため、実現される所得の種類や本件支払利子の持つ経済的意味も、当然異なってくる。そうすると、本件インパクトローンの借入目的は、本件インパクトローンに係る支払利子を、いかなる所得の必要経費に算入できるか否かを決定する上で、重要な要素となる。

従って、本件インパクトローンの借入目的によって、算入する所得の種類を異にし、本件支払利子が必要経費として認められるか否かについて、異なった扱いとなるからといって、所得税法を始めとする租税関係法規上当然なことであって、何ら背理ではなく、原告の前記主張は理由がない。

(二) 金利負担のコスト軽減について

原告は、本件インパクトローンの為替予約による為替差益は、資金調達の金利負担のコストを軽減するものであり、為替差益に相当する支払利子が減少したに過ぎないのであって、為替差益と支払利子とはいわば相殺関係にあるとみることができ、本件支払利子は、本件インパクトローンに必然的に伴う支出として、為替差益に対する必要経費に当たると主張する。

しかし、インパクトローンに先物為替予約を付する主たる目的は、為替相場の変動による為替リスクを回避することにあり、金利負担のコストを軽減させることではない。例えば、為替相場が円高方向に推移しているときは、予想外の為替相場の変動がない限り、インパクトローンに先物為替予約を付さない方が為替差益も増え、金利負担のコストも軽減される。それにもかかわらず、インパクトローンに先物為替予約を付するのは、為替差益による金利負担のコスト軽減のメリットよりも、為替相場の予想外の変動による為替差益の著しい減少、ないしは為替差損の発生を防止しようとするからであって、正に為替リスクの回避を目的とするものである。

そして、インパクトローンに為替予約を付するか否かは、借主側が自由に決めることであり、特に為替相場が円高方向に推移しているときには、借主側は、為替リスクを覚悟してより多くの為替差益を求めるか、あるいは為替リスクを回避するかを選択することになる。本件インパクトローンの外貨借入申込書(〈証拠略〉)においても、先物為替予約を付するか否かは、借主側で選択できるようになっている。

このように、前記一の1の(一)でも考察したように、先物為替予約は、本件インパクトローンの借入契約とは別個独立の契約であり、本件支払利子と本件為替差益はそれぞれ別個独立に生じるのであって、本件為替差益から本件支払利子を必要経費として控除できるか否かは、前述のように、各種所得についての所得税法を始めとする租税関係法規の定めに従って、決定されることである。

従って、先物為替予約を付したというだけで、租税関係法規の規定を離れて、当該インパクトローンに係る支払利子を、為替差益の取得に必然的に伴う費用とは評価できず、本件支払利子が、本件インパクトローンに必然的に伴う支出として、為替差益に対する必要経費に当たるとは認めれない。

(三) 甲第四号証について

更に、原告は、被告自身が、本件更正等の処分に先立つ平成二年五月二三日、原告側との交渉の過程で、本件支払利子の経費性を認めた書面(甲四)を作成していると主張する。

しかし、原告が援用する甲第四号証は、被告職員が記入した部分と原告側が記入した部分とが存するが、被告職員が記入した部分については、その体裁からみて、被告の課税庁としての認識を示す確定的書面とは認め難く、被告職員の作成部分は、被告が本訴で主張している如く、原告側税理士との間で交渉した際、その主張をメモしたものに過ぎないとみるのが自然である。

このことは、右交渉の僅か一か月余り後の平成二年六月三〇日に、被告が本件為替差益が原告の昭和六三年分の雑所得に該当し、本件支払利子はその必要経費には当たらないと判断して、本件更正処分等を行っていることからも、裏付けられる。原告の前記主張も理由がない。

5  総括

以上の次第で、本件支払利子が本件為替差益の必要経費に該当せず、他の各種所得の計算上本件支払利子を控除することもできず、原告の昭和六三年分の課税所得に係る収入金額から、本件支払利子を控除することはできない。

第四結論

一  以上によると、本件為替差益一五九四万八〇〇〇円は、原告の昭和六三年分の雑所得に該当し、原告の昭和六三年分の課税所得に係る収入金額から、本件支払利子を控除することができないのであるから、原告の昭和六三年分の総所得金額は四七一五万五一〇六円であることが認められ、それを前提としてなされた本件更正処分、及び過少申告加算税の賦課決定処分は、いずれも適法であると認められる。

二  よって、原告の本訴請求は理由がないので棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 紙浦健二 高橋正 関口剛弘)

別表一 課税経緯表〈省略〉

別表二 本件インパクトローン概要表〈省略〉

別表三 初回インパクトローン概要表〈省略〉

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